2014年8月30日土曜日

非汚染地域でも体内被曝 ~ ミンスクにおける子どもの疾病経過

放射能を恐れていたら、食べるものがなくなってしまうという現実がある。ベラルーシのベパル村で出会った女性に、食品の汚染の事を聞いて、怖くないかと聞いた。

彼女は「怖いけれど仕方ないだろ。空腹を抱えて死ぬより、おなかいっぱいで死んだ方がいいからね。」と答えた。

こうした汚染地でも、自分はキノコを食べるけれど、子供には食べさせないといった、家族内での基準が作られていたりした。

モギリョフ州の森からキノコのかごを持って出てきた男に出会った。

「もっぱら私だけが食べています。家族は怖がって食べません。妻は用心して孫にも食べさせません」と彼は語った。

またナロヂチ地区のフリスチノフカ村にとどまっていた人に聞くと、「小麦を植えるのはいやだね。ほかの地域の人々まで汚染したくないからね」と言った。彼は自分の食べる物だけを、汚染地で栽培していたのである。

しかし汚染地の体内被爆量と、非汚染地のそれとの間には、大した差がないことを人々が知った時、この問題からは、どこにいても逃れようがないことを感じただろう。

汚染地と非汚染地の子どもの体内セシウム量が、ほどんど同じだったという結果が出たことについて、ミンスクにあるチェルノブイリ省のプリヤークに尋ねた。彼は役人らしく次のように答えた。

「ゴメリの土壌の汚染は、ミンスクの10倍です。でも人体内に蓄積されたセシウムの量は大体同じです。汚染された肉が事故から4年の間、生産され続けました。86年の時点では、この肉は廃棄されずに機械的に混ぜ合わされていました。穀物も大量に産出されますが、汚染されているので食用にも肥料にも使うことができません。でもそれらを破棄できるかどうかは、すべて私たちの財政状態にかかっています。お金があれば、たくさん食糧が廃棄できるのです」つまりすべては、経済の問題というわけだ。

広河隆一 著 「暴走する原発」より




ミンスクにおける子どもの疾病経過


チェルノブイリ – 17年後


「汚染されていない」地域において明らかな疾病の増加


1997年から2001/2002年にかけて、ミンスク市のある病院が異なる家庭環境の子ども達を対象に定期的な健康調査をおこなった。長くミンスク市に住んでいる家庭の子ども(ミンスクグループ)と、チェルノブイリ事故後にミンスク市に移住させられた家庭の子ども(移住グループ)を比較した。

いずれのグループでも、疾病の増加は愕然とするほど明白である。移住グループの子ども達における影響は、より深刻である。

このことは以下のデータが裏付けるものである。



腫瘍の頻度 (0〜14歳までの10万人の子どもを調査)

             1997  1998  1999   2000  2001
ミンスクグループ    299.4    298    427    503    496.7
移住グループ     1068.8    1004.7  1015   903    1106



気管支喘息の頻度 (0〜14歳までの10万人の子どもを調査)

            1997  1998  1999  2000   2001
ミンスクグループ    675    790    909    1000    1118
移住グループ     1058     979   1176   1006    2000








慢性疾患を患う子どもの数(%)

              1997   1998  1999   2000   2001
ミンスクグループ     15.5%   16.7%    21.0%   22.2%   23.6%
移住グループ       29.0%    33.2%    40.1%   43.7%   50.5%


身体障害児および身体障害の前段階の子どもの数(%)

              1997  1998  1999  2000  2001
ミンスクグループ      0.9%    1.2%    1.1%   1.16%   1.3%
移住グループ        1.3%     1.4%     2.4%  2.7%   3.0%



完全に健康な子どもの数(%)

              1997  1998  1999   2000   2001
ミンスクグループ     6.4%    4.5%    3.8%     3.5%     3.7%
移住グループ       3%     3%      2%      0.9%     0.3%



以上のデータについて、移住グループの子ども達の非常に多くがミンスク市で生まれているにも関わらず、ミンスクグループの子どもよりも病気になる頻度が高いのは何故かという疑問が沸く。

これは、年齢の高い子ども達は幼少期に原発の近くに住んでいたため、また、年齢の低い子ども達は成人したチェルノブイリ被害者の子ども達であるためと考えられる。

また、移住グループの子ども達は学校の長い休みの間、汚染された地域に住み続けている祖父母や親戚の家で過ごすことが多く、経済的困窮から汚染地域の食品を大量にミンスク市へ持ち帰っていることも原因と見なすことができる。

しかし、ミンスク市その他の「汚染されていない」地域出身の家庭の子どもたちの健康状態が継続的に悪化しているのは何故だろうか。1986年の事故当時に、ミンスク市とその周辺は放射性降下物の影響をそれほど受けなかったとされているが、それは間違いなのだろうか。ミンスク市およびその周辺で売られている食品は、当局が主張しているように安全ではないのだろうか。




以下の調査結果は、両方のグループの子ども達を合わせた数字である。子ども達の健康状態が悪いことを上記データに加えて証明するものである。



様々な疾患の増加(%)

                   1997          2001
骨および筋肉の病気    1.3%            2.9%
心臓疾患              13  %           22  %
眼の異常              17  %           24  %
腫瘍                  4.9%           10  %
内分泌障害              6.4%            8.7%



悪性腫瘍および脳腫瘍の頻度 (10万人の子どもを調査)

          1997    1998   1999   2000   2001
悪性腫瘍      57       73      77      104      121
脳腫瘍        15       20     25.8      46       56



奇形および先天性の心臓疾患 (10万人の子どもを調査)

          1997    1998   1999    2000    2001
奇形        1191     1366   1374    1683    1906
心臓の欠陥   706      895    950    1287    1504

2001年にこの病院で生まれた856人の新生児のうち、完全に健康だったのはたった3人だけだった。



甲状腺疾患(甲状腺炎)および甲状腺にしこり (1000人の子どもを調査)

          1997    1998   1999   2000   2001
甲状腺炎    0.48      0.5     3.4    6.76    29.4
甲状腺しこり 0.96      1.8     3.4     4.0    25.9


これらの驚愕的な数字は首都ミンスク市で得られたものである。この事実を報道するベラルーシの新聞、ラジオ、テレビはない。ベラルーシ政府は、チェルノブイリ事故の影響は克服したとしている。4月にミンスク市でこの問題の管轄機関を訪れた「チェルノブイリの子どもたち」に対し、当局はそれを何度も強調した。最新の調査状況に関する情報は公表を差し止められている。

もう一度強調するが、ミンスク市は汚染されていないと見なされている地域である。モギリョフ州やゴメリ州などの放射性降下物に重度に汚染された地域で比較調査をすれば、どれほどの結果が出るであろうか。


エーファ•バルケ(翻訳 Eisberg) 2008年4月20日(日)

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