2014年1月5日日曜日

 「自主避難して正解」 福島民友2014年1月3日(1面)記事書き起こし

原発災害「復興」の影 ■自ら逃れる ① 

「自主避難して正解」 
肯定求める親の判断 古里を離れて心に負担

 「周りからは『大変ね』って、数え切れないぐらい言われる。母子避難という“ブランド”を背負っているような感じ」。長女(9)と長男(7)を連れて福島市から兵庫県西宮市に避難する赤間美沙子(35)は、自らに向けられる、周囲の同情的な目に戸惑いを感じている。「こっちは前向きなつもりなのに」

期限ぎりぎりに転居

 2012(平成24)年秋、12月で県外避難者のための住宅借り上げの新規受け付けが終わると聞いて、急に不安になった。18歳以下の県民を対象とした甲状腺検査で、子どもらの甲状腺に「嚢胞」などのしこりが見つかったと話題になったのもこのころだ。検査した機関は原発事故との関連を否定したが「うちの子は何もないとは言い切れない。後悔したくなかった」。期限ぎりぎりに、神戸市の知人に紹介してもらった西宮市のアパートの借り上げ手続きを済ませ、暮らし始めた。

 避難してから、放射線について調べ「やはり福島は危険だった」と思った。今は子どもらが砂遊びをしていても安心していられる。福島市に残る夫(37)には負担を掛けているが、やはり避難して良かったと思っている。

 昨年年の瀬に、福島市に一時帰宅。正月は夫と過ごした。福島の母親仲間とは、放射線に関する話題はあえて避けて、子どもの話に終始した。「サッカーやってるけど元気すぎて困ってる」

 相馬市から滋賀県栗東市に避難する元設備業佐藤勝十志(52)は11年11月に相馬の知人らと京都で再会した。長女が卒業した中学校の吹奏楽部が音楽祭に特別出演した。子どもらの前では「いつ帰ってくるの」などと当たり障りのないやりとりだったが、トイレや廊下で保護者と二人きりになった時、何人かから言われた。「今度、何かあったら子どもを避難させたい。預かってくれないか」

「もう仕事ないよ」

 佐藤は「人前では言えなかったんだな」と思った。「相馬は市民が一丸となって復興に進んでいるというのが建前。避難したいと言えない雰囲気があるのでは」と推測した。「裏切り者」「もう仕事はないよ」。相馬に一時的に戻ると、同業者からは厳しい言葉を投げ付けられる。しかし、佐藤は意に介さない。「仕事もいいが、家族に健康被害が出たらどうするんだ」

 国による避難指示のなかった地域から、他県や会津地域に避難したのは3万人程度とみられている。賠償などがある避難指示区域からの避難者と比べ、経営苦などが目立つとされるが、当人たちは「避難して良かった」「(地元に)残っていたら大変だった」と肯定的だ。

 福島大行政政策学類准教授の丹波史紀(40)=社会福祉論=は「自主避難者は職場や古里を捨てたのではという後ろめたさを感じている人が多く、避難が正しかったと思いたい気持ちが強い。地元で健康被害などがあれば、避難が正当化されるという考えもみられる」と指摘し、「自主避難者に『避難は悪いことではない』『間違ってない』と言ってあげるなどの支えが必要だ」と話す。

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自主避難者は、避難による人間関係の変化や、支援制度の変遷などを経て、事故後3度目の正月を迎えている。避難者の現在の思い、境遇を追う。






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